2月2日は、しおんじやま学び場を開催。今回は「八尾の街道」がテーマ。講師は、八尾市立歴史民俗資料館の樋口先生であった。
道・街道とはそもそも?からスタートして、古代の官道(駅路)について紹介。
まず、官道の特徴としては、
①直線的
②両側に側溝や盛土など、幅を示すものがあるかどうか
③一定の幅があること
ということが挙げられるらしい。
そして、八尾市内の街道について。
八尾市内を通っていた古代の道として記録に出てくるのは、まず日本書紀に書かれてる「磯歯津道(しはつみち)」がある。
大阪の住吉の津から大和へ向かう道で、雄略天皇の時代に整備されたようだ。
もう一つは、続日本紀に出てくる「渋川道(しぶかわみち)」だ。奈良時代、756年に孝謙(称徳)天皇が難波から柏原市の智識寺に行く時に通ったと記録で出てくるのだ。
ただこれらの道が現在のどの道?というのは、今の街を見ても分かりにくい。現在残っている街道がいつから使われていたかを証明するのはなかなか難しいのだ。
そんな中、遺跡の発掘調査で判明している「道」もある。八尾市内では久宝寺遺跡で「道」と思われる遺構が見つかっている。
一つは、市民病院を建設する時の調査で見つかっており、幅9mで両側に溝があるもので、検出した長さは120mほどあった。この道が造られ使われた時期ははっきりしないが、古墳時代後期から奈良時代にかけと考えられており、JR大和路線に沿うような感じで伸びていることから、これがさっき紹介した「渋川道」かも?と推測されている。
その他にも、久宝寺遺跡では、幅3mで検出した長さ35mほどの飛鳥時代の道路と考えられる遺構も見つかっている。
道路と考えられる遺構は、まっすぐな溝が長く伸びる感じで、見た目は結構地味な?感じだが、当時の人々が行き来した大動脈。地道な調査の結果から当時の様子を復元できるかもしれないのだ。
今回は、そんな八尾の街道について知ることができた学び場であった。
次回は、3月2日にシリーズ八尾の最終回。「八尾の近代化遺産」をテーマに、柏原市立歴史資料館の石田先生に話をしてもらうので、こちらも楽しみしてくれ!よろしく~